原点

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エクステラが終わってサイパンから夜に帰国し、翌日の夜からカリフォルニアに飛んでのシーオッタークラシック。
今年はレースへの参戦はしなくて取材のみ。世界最大の自転車イベントではあるが、MTBもロードもレースにはUCIプロクラスがあるので格付けとしても高い位置にあるのがシーオッター、それなのにレースには出ずに取材のみってのは、ある意味「一線を超えた」感がある。しかしながら2年前にはロードのステージレースとMTBレースの合間に取材を敢行したらレースが全くレースにならず、ただサイクリングしただけになってしまったので取捨選択して取材への一本化。

2年ぶりのシーオッターからはロードはすっかり消えてしまいMTBだらけ。2年前は各社が前面にロードを並べてきていたが、今年は隅っこに平置きで1~2台が置かれていたりするのみ。シーオッターで2年後のトレンドの流れが漂いだすのと、台湾ショーでプロトタイプだった物が市販品になった完全な物が並べられる。

サンフランシスコに着いた日に、マウンテンバイクの生みの親であるゲイリー・フィッシャー(GF)に会いに行き、北米ならびに世界の動向を聞いてきた。GFは常々「楽しくなけりゃいけない」と仰っている。これはMTBに限ったことではなく、近年はグラベルロードとか未舗装路を含んだグランフォンドとかそういったシリアスじゃないロードの人気が非常に高い。日本でこれだけロードに乗るライダーが増えたが、高校の自転車部とか実業団登録選手数は昔より減っていて、部活として成立できなくなりそう・・と顧問の先生が寂しく語っていた。耐久レースやヒルクライムは満員御礼の大盛況が続いているのに、シリアスレースが受け入れられなくなってきた理由はわからないが、GFが言うように「楽しくなけりゃいけない」というある意味原点回帰、赤ちゃんがえりが進んでいるのではないか?と考える。好きな物を食べられず節制して家族と時間とお金と自由を犠牲にするシリアスレースよりも楽しさを追求するという至極真っ当な流れはあるかもしれない。
アトランタオリンピックから五輪種目となったマウンテンバイク、今では五輪種目として公式なお堅い競技としての体をなしているが、そもそもマウンテンバイクの生まれ方ってのはGFとその仲間達が1970年代に酒を飲み、アレでトリップして、改造したビーチクルーザーで山を駆け下りていたのが原点で、ただのバカの集まりの遊びが始まり。なのに五輪種目になってスポーツとしての体が出来上がったら、マウンテンバイクの始まりとはベクトルが随分とズレてしまっている。これはスポーツなのでルールに則った中で行われる事が当たり前だが、シリアスレーサーならまだしも、ファンライダーも同じようにお堅いシガラミを持って走る理由はない。好きにやればいい。大好きで本気で頑張っている事に対して人はその物事が高尚なもので素晴らしものだと錯覚してしまう事が多々あるが、マウンテンバイクのプロで競技者として本気でやっていて食っている私は自分自身でマウンテンバイクを「バカの集まりの遊びから生まれたただの遊び」だとマウンテンバイクを知らないメディアや、人に言っている。実際にそうだから。こうやって言うとビックリされるし、このまま掲載はされないけど。

話が随分と飛んでいってしまったが、結局何が言いたいのかというと、今のグラペルとかエンデューロ(耐久レースではない。日本は耐久=エンデューロという考え方、名前を変えていくべきで、世界的にはすでにエンデューロ=登りと下りを組み合わせたコースで、一部の下り中心の区間のみタイム計測を行い、残りの区間はリエゾンとするモータースポーツのラリーのようなフォーマットのMTBレース。というのが定着。このままエンデューロ=耐久レースを続けると日本はもっとガラパゴス化する)が隆盛しているのは、自転車は炉辺で楽しみを感じるものであるからだ。楽しい道も、綺麗な風景も、優れたテクノロジーも、ワイワイ乗って火を囲んでビールを飲みながら自転車について語り合う時間があってこそ。自転車が手に取られる理由として平和な世の中があるからなのだと思う、平和な世の中において人生の刺激の一つの手段としての自転車。刺激といっても大人の心を微笑ませて、冒険心をくすぐる刺激。いみじくも自転車は各々にあったハッピーを提供してくれる。
エレクトリックバイクや幅広ハンドルバー(道交法で幅の規定がある)やベルとかライト等の、楽しみとしての自転車と交通手段としての自転車の矛盾する部分はハッキリと答えが見えてこないが、型にハマった自転車しか認められないのなら自転車はほとんど意味を持たないものとなってしまうという思い。
シーオッターには、いち自転車乗りとして気を取り直させてくれる仕組みが多くあり、自転車の後に自分の人生が始まっているという事を強く感じた。
※時差ボケで自分でも何を書いているのかよくわかっていない支離滅裂でスイマセン。

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